気まぐれ日記 2015年8月

2015年7月
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8月1日(土)「久しぶりの町内会の夏祭り・・・の風さん」
 6時起床。先週は除草作業だった。今週は町内会の夏祭りである。
 空は雲一つない青空。耳を聾するアブラゼミの大合唱の中集会所に向かった。7時到着。
 夏祭りに参加するのは10年以上も前に役員だったとき以来だ。グラウンドの中央に櫓を組んで、四方から張ったロープに提灯をぶらさげる。盆踊りの準備だ。テントが実に7張り。本部の他は屋台や出店。すべて住民の仕掛け。発電機もフル動員されるが、町の電気屋さんのボランティアで配電がされる。今年は、中学生がたくさん応援に来てくれて、高齢者を元気付けた。
 先週の除草作業では熱中症でダウンした人もいたそうで、今日は1時間おきに休憩を入れて、水分補給も万全だった。
 テントに吊るす蛍光灯を箱から出そうとしたら、でっかい黒ゴキが潜んでいて、肝をつぶした。
 10時20分まで老人並みに働いた。脚立に何度も登った。
 帰宅し、シャワーを浴びて着替えたら、もう立っている元気もなかった。
 夕方までダウン。
 日が暮れてからワイフと久しぶりの会場に出かけた。例年になく盛り上がっている感じで、屋台の飲食物がもうかなりなくなっていた。食べ物を4つと缶チューハイを買い、出店で光り物も買った。ディズニーシーに持って行こう。
 ワイフも楽しみにしていた盆踊りの輪に入った。
 抽選会ではやはり外れ、その後の後片付けにも参加して帰宅したが、また疲れてしまった。
 リビングで倒れている間に、ワイフの椅子のあたりでちびゴキが出たらしく、ワイフは二匹の猫と一緒に駆除したらしい。
 就寝前に二階のトイレに入ったら、便座にちっこい赤ゴキが乗っていたので、ゴキジェットで退治した。
 1日に3匹のゴキと遭遇するとは、恐ろしい日だった。

8月2日(日)「後片付けで1日のパワーを使う・・・の風さん」
 6時起床。空はどんよりとしていたが、今朝もアブラゼミの大合唱に背中を押されてグラウンドへ。
 7時に到着したが、もう片付けが始まっていた。高齢者が多いので、今日も高所作業に取り組んだ。61歳の私でも若い部類なのだ。
 またたくうちに片付いて行ったが、テントの屋根シートが濡れていて、すぐに畳むことができなかった。
 それでも予定より早く作業が終わり、会長(正しくは区長)の提案で、全員集会所で休憩することになった。副会長が私にそっと缶ビールを回してくれたので、ありがたく頂戴した。
 暑さのせいだろう。缶ビール1個では全く酔わなかった。
 帰宅してシャワーを浴びてダウンしたところまでは昨日と一緒。
 今年の夏祭りが盛況だったので、お祭り好きのワイフが、来年は何か参加したら、と言い出す。ワイフは昔やった輪投げをやりたいらしい。私は職場でよくやっている綿菓子屋がいいだろうと思い、ネットでレンタルを調べたら、安価に貸してくれるところがあることが分かった。早目に予約すればやれそうだ。補助金と100個ぐらいの売り上げでトントンになりそうだった。しかし問題は、1年後にどれだけ元気があるかだな。
 就寝前に明日からの雑務の作戦を立てた。我が家の家計のことだ。収支をうまく合わせいくのは私の仕事だが、退社して1年では決着がつかず、あと1年かかることが分かった。パソコンで管理しているが、パソコン(エクセル)がなければとても整理できない厄介な仕事だ。今週は家計の安定化にも尽くさねばならない。おっと作家業を忘れてはいけない。

8月3日(月)「久しぶりに昼寝しなかったが・・・の風さん」
 今朝は早起きでなかったので楽だった。子供の頃から早起きは不得意だった。ということは、早寝も不得意だった。自分は遅寝遅起きタイプなんだと開き直っていた。実際、寝るときは沈没するように熟睡してしまうので、毎日臨死体験をしているようなものだ。身辺整理ができていないのがいつも気になる。
 今日は、遅寝遅起きモードの日なので、いつものペースで雑務をこなした。亀より遅い身辺整理だ。
 午前中にキャメロンで出かけた。雑務の続きである。銀行のATMで処理をし、JAへ移動して同じく処理を始めたのだが、ここで面白いことが起きた。必要があって111,000円引き出したのだが、取り出し口のドアが開いたら、見たこともない札束! なぜか千円札が111枚で出てきたのだ。笑っている場合ではない。すぐに冷静に判断して、その札束を入金し、次は1万円札11枚と千円札1枚で引き出した。続いてJPへ移動して、送金と投函。
 これで疲れてしまってダウンするといつものパターンなので、今日はとにかく横にならないことを目標にして夕方まで頑張った。
 久しぶりに本も少し読めた。
 しかし、夕食後、限界に到達して、リビングでダウン。
 明日は1日ダウンしないことを目標にしよう。 

8月4日(火)「2ヶ月ぶりの筋トレ・・・の風さん」
 10月と11月のセミナーで上京するときに、ついでに作家活動もしてこようと思っている。とりあえずホテルをネットで予約しておいた。近付いて、作家活動の目途が立たなければ、キャンセルすればよいのだし。
 午後になり、ゆで卵を1個食べて、久しぶりに筋トレに出かけた。
 前回は4ヶ月ぶりで、今回は2ヶ月ぶりだ。暑さは関係なく、体力が落ちているのは間違いないので、負荷を1ランクずつ落としてすべてのメニューをこなした。心肺機能のトレーニングになるバイクでは、若き日のピークの半分しか能力がない。とにかく、今度こそコンスタントに続けたい。いや、続けなければならない。
 帰宅して、ひと休みしてから、作家の仕事に取りかかろうとしたが、気になる動画を見て、その保存をしているうちに夕食の時刻になってしまった。
 夕食後、ダウンしそうだったが、何とかもちこたえて、あれこれと読書して就寝した。
 まだ不完全燃焼だ。

8月5日(水)「書斎の片付けに着手・・・の風さん」
 長女の部屋に仮置きしてある私物の整理が限界に到達したので、今日から書斎に空間を作る作業に着手した。
 午前中かけて左奥の書棚を整理しながら処分していい書籍を取り除いたが、未練でわずかしか抽出できなかった。もうすぐ死ぬくらいの覚悟がないとできないのだろう。
 午後、またキャメロンで出かけ、銀行のATMからJAへと移動し、懸案事項の一つを成し遂げた。これらの結果は、帰宅してから、我が家の家計簿のエクセルにしっかり記入した。あと、銀行の通帳を一つ減らす作業が残っている。これをやれば、今年のテーマの中の保険関係と銀行関係がほぼ終わる。
 それを明日やろうと今週は思っていたのだが、思わぬ伏兵が現れた。
 先月受けた定期健康診断の結果が届いた。昔からちゃんと健診は受けているので、大きな変化点が現れるとは思っていなかった。
 ところが、意外にも、要精密検査が2件あった。昨年の2件は分かっていることで、どうってことなかったが、今年のは初めての指摘で驚いた。どちらも「がん」である。
 ショック(精密検査で出費と時間の消費があること)でこのあと作家活動をこなすことができなかった(笑)。

8月6日(木)「体力増強が課題・・・の風さん」
 今日も書斎の左奥の書棚の整理をした。整頓ではなく整理なので、捨てるものを選別していくことだ。20年以上も前に清水信先生の講座に通っていた頃の資料やノートが3つのファイルになっている。昨年の地元のマイスタディ講座で受講者に披露したことで、いちおう役割を終えたと判断し、外観の写真を撮り、ワイフにも見せて、捨てることにした。こういった作業が今後も続く。もうすぐ死ぬと思えばできることだ。
 長女がかかりつけの病院から紹介状をもらって専門病院へ行ってきた。まだ検査が必要だという。心配である。
 私は明日総合病院へ行く予定。
 昼食後、筋トレに行った。一昨日と同様にキャメロンの助手席付近にクモの巣があった。しかし、クモの姿は見えない。我が家ではクモは保護動物だが、キャメロンの中で飼うわけにいかない。そもそも餌がいない。
 体育館の入り口を入るとき注意深く足元を見た。一昨日は、毛虫が3匹歩いていたからだ。今日はいなかった。
 一昨日とほぼ同じメニューをこなして帰宅した。
 非常に疲れたが、今の私には体力増強が最重要課題だと思う。
 広島に原爆が投下された日の今日は、70年前と同様に暑い日だった。

8月7日(金)「猛暑の中の通院・・・の風さん」
 ウィークデーなので有料道路を使って総合病院へ向かった。朝から暑く、エアコンを使った。
 9時前に着いて、案内にしたがって2番受付へ。健診結果を持参しているので、紹介状ありと同等の受付をしてもらい、内科受付へ。
 待つ間、病院の風景を眺めて過ごす。印象に残るのは、私と同様高年者の患者らで、看護師から次の検査場所などの説明を受けているが、すぐに理解できてないようだ。たった一つのことなら何とかなっても、3つ以上の手順になったら、もう頭の中には何も残らないのではないか。付き添いの家族がいる場合は、きっと家族がサポートする。
 順番がきて、看護師の事前面談を受け、きちんと説明したら、医師の診察の順番を早めてくれた。
 医師は若い男性で、あっという間に話が弾んだ。老人扱いされることを覚悟していたのだが、まるで対等のような会話になり、テキパキと話が進んだ。無駄のない会話というのは、気持ちの良いものだ。
 結局、2件の疑いに対して、次のような対応になった。
 ここでは、腫瘍マーカー検査を念のためもう一度やるとともに、これまでの経緯(ここ2年間レントゲン検査をしていないこと)から肺のCTを撮ることになった。
 もう1件の疑いに関しては、内視鏡検査になる可能性が高く、麻酔を希望する私に対して、ここの総合病院では方針として麻酔をやらないので、以前に何度か診てもらっている別の病院を受診することになった。ここの医師も「私もやるなら麻酔してほしい」と正直に語っていた。好感がもてた。
 昼食を摂って、午後1時から肺のCTを受け、郵便局とGSに寄って帰宅した。
 エアコンを強烈に効かさないと耐えられない暑さだった(名古屋の今日の最高気温は38℃だった)。

8月8日(土)「今日も筋トレ・・・の風さん」
 高校野球は残念ながら母校が出場できなかったので、興味は薄れた。100周年の記念の行進が、開会式にあったが、生中継も見なかった。あとで見た映像からは、参加は各校1名で、全員で旗を運ぶような行進だった。代表は昔のユニフォームを着ており、「AKITA」ではなく「YADOME(矢留)」と胸に書いてあり、ほとんどの視聴者は、そこがどこの高校か分からなかったろう。読売巨人軍が「GIANTS」と書いているのとはわけが違う。
 朝から通常の雑用をこなしていった。
 昼食にそうめんを食べて、筋トレに出かけた。一昨日よりも少し多く体を動かした。
 帰宅したら疲労を感じた。体力を取り戻すにはまだかなりかかりそうだ。
 昨日、今日と読書が思ったほどできず、また短編小説の準備ものろのろとしか進まなかった。
 娑婆は夏期連休に突入するので、その間に、自分の仕事を進めなければならないのだが。

8月9日(日)「レベッカに釘づけ・・・の風さん」
 毎年恒例の心月斎の盆施餓鬼にワイフと出かけた。
 先ずお寺の裏山の墓地に墓参りし、それから本堂で焼香。お坊さんが6人で賑々しく読経してくれている。本堂内は風が通るようにしているが、今日はかなり気温が上がっているようだ。初盆の家族も多く、焼香と祭壇を2めぐりしている。
 次々に焼香が終わり、別室で精進料理をいただく。これが楽しみだ。煮物ともずくと赤だしの味噌汁。
 こういった行事を無事に終えるとホッとするから不思議だ。
 忙しいワイフは午後も空いているので、映画鑑賞に誘った。「ミッション・インポッシブル」だ。公開されて日が浅いが、恐らく今日くらいしか観る機会はない。
 最初に行った映画館ではタイミングが悪くて、吹き替え版だったので、字幕のタイミングになっている映画館へ移動した。
 ストーリーやアクションが面白いことは予告編で確認していた。しかし、私の最大の興味は、ヒロイン役のレベッカ・ファーガソンだった。予告編で見てひと目惚れしていた。30も年が違うのに(笑)。
 実際、映画を観てますます気に入ってしまった。あまり映画には出ていない女優だったが、あとで確認したら、昨年のドイツ旅行で、ルフトハンザの機内で観た映画「ヘラクレス」に出ていた。これからしばらく注目の女優だな。
 帰りにアクアに給油して帰宅した。

8月10日(月)「また病院・・・の風さん」
 先週の金曜日に続いてまた病院だ。今日ははN胃腸科病院。かつて2度、胃の内視鏡検査を受けたことがある。
 キャメロンで出かけ、有料道路を走ってというのは、同じルートだ。途中、総合病院のすぐ近くを通り過ぎて、さらに先まで行った。
 1時間ちょっとかかって9時半ごろ到着した。
 娑婆はそろそろ夏期連休のはずだが、病院はかなり混んでいた。
 診察室へ呼ばれたのは11時45分ごろだった。診察室には番号が振られていて、1、2、3、5、6、7となっている。4がないんだ〜と思った。
 若いヤンキー風の男性医師だった。先週は、色々な選択肢があるという説明を受けたが、ここは専門病院らしく、精密検査のメニューは決まっていた。だいたい内容を知っているので、説明を受けてすべて同意した。
 その後、内視鏡検査の日程の予約をした。上部消化管は来週で、下部消化管は来月の後半である。どちらも鎮静剤を打っておこなわれる。先週の総合病院との決定的な違いだ。
 正直言って肉体的苦痛はいやだ。私の場合、ジェットコースターが嫌いなのと理由は同じ。だから、ジェットコースターには極力乗らない。内視鏡検査の場合は、鎮静剤がポイントとなる。ジェットコースターだって、鎮静剤を打って、意識白濁状態だったら平気で乗れるだろう。したがって、内視鏡検査を受けるとしても、鎮静剤のおかげで、事前の恐怖や緊張感は大幅に低減されるのだ。
 猛烈な暑さの中、一般道を通って帰宅したら、ワイフが昨夜のおにぎりをあたためてくれた。
「あとは昼寝でしょ?」とねぎらいとも嘲りともつかない言葉をかけられたが、不思議と私は元気で、私はせっせと仏壇にお盆の装いをこらした。12日は棚経(たなぎょう)である。

8月11日(火)「1日おきの筋トレは無理か・・・の風さん」
 自分の病院行きが発生してしまったために、やけに忙しくなってしまった。やや負荷が減ったこのタイミングをとらえてトレーニングを復活させ、しっかり体力を戻してからなら、多少の無理が効いたかもしれないが、だんだんピンチになってきた。
 今日はそのトレーニングの日である。何とか1〜2日おきに通おうと考えている。復活して4回目だ。
 午前中にハガキを1枚作成し、昼食後、猛烈な暑さの中、窓を全開にしたキャメロンで出発。
 エアロバイクで心肺機能の確認ができるが、ピークの40%。4回連続して低下してきている、ということは、体力アップどころか疲労が抜けないままトレーニングに来ていることになる。
 その後は、前回と同じペースでじっくりとこなした。1日おきは、今の自分の体力では少し無理があるのかもしれない。
 今月末までに短編の書下ろしを予定している。題材は決めたが、まだテーマが決まらない。テーマは発想、着想から生まれ、執筆のモチベーションを高める最も重要な要素である。こういう場合は、色々な刺激を求めて行動する。正攻法は小説を読むこと。特に、ここしばらく短編小説も読んでいる。先輩たちの作品は素晴らしい。しかし、感動しているだけでは、自分の執筆は始まらない。
 やはりトレーニングの疲れが出て、今夜は早目に店じまいした。

8月12日(水)「棚経(たなぎょう)・・・の風さん」
 今日も重要な用事があるので、作家業に専念はできない。
 午前中に階下の片付けをして、昼食後すぐ銀行に出かけた。老後のアクションの一つで、35年前に作った余分な通帳を一つ処分するためだ。銀行は合併して名前も異なっている。結局、この目的は3分の1しか達成できなかった。「よくなくさずに持ってましたね」と言われたほど古いカードローンの解約申請だけである。すべて完了させるのに1週間から10日程度かかりそうだ。
 夕方、心月斎から住職さんが来て、棚経をあげてくれた。明日は1日で60軒回るそうで、日にちを気にしない我が家は、たっぷり時間をかけられるので、余裕があってお互いに助かる。終わって、コーヒーを飲みながら色々な雑談をした。1年半後が亡父の13回忌になることも話した。
 夕食後やっと作家業に入ったが、まだ閃きがない。

8月13日(木)「キャメロンのバッテリ上がり?・・・の風さん」
 来週は時間的に余裕がなさそうだったので、午前中にかかりつけの病院へ薬をもらいに行った。道路は混んでいたが、病院は空いていた。帰りは山越えの道を通ることにして、ついでに近くのショッピングセンターに寄った。
 目的の品物が買えたので安心してさあ帰宅、と思ったら、なんと、キャメロンのエンジンがかからない。セルがうんともすんとも動かないのだ。今朝2回の始動は何の問題もなかったし、真冬でもないから、バッテリ上がりとはとても思えなかった。しかし、常識的にバッテリ上がりから確認すべきと思い、ワイフの支援を要請した。
 アクアを隣に止めて、ブースターケーブルでバッテリ同士を接続しようと思ったのだが、なんと、アクアのバッテリが見つからない。エンジンルームにないのだ。トランクの下にもない。そこで、ショッピングセンター内にある中古車屋に駆け込み、予備バッテリを持ってきてもらった。つないでみると、見事にエンジンがかかった。バッテリが上がっていたようだ。
 帰宅して、いったんエンジンを切ったら、もう二度とかからなかった。
(バッテリの話は明日へ続く)
 35年前に作った余分な通帳の件の3分の1をやった。使っていないクレジットカードの退会手続きである。オペレータを通さず、すべてプッシュボタン操作で完了した。驚き。最後の3分の1は来週である。
 新鷹会の仲間、小山啓子さんから力作の本が届いた。『まほろばの御沙汰(おんさた)』どうしても残さねばならない一書であると感じた。
 今夜も書下ろし短編の構想を練ったが、良い発想が湧かなかった。

8月14日(金)「バッテリの問題は続く・・・の風さん」
 今日はワイフの最終診察日、長女の検査日だったので、9時にアクアで自宅を出発する予定だった。
 私は1週間後にキャメロンで長野県に出かけるので、バッテリの件は早く方針決定しなければならなかった。
 それで、早々に朝食を摂ってすぐ行動を起こした。
 先ず、今朝もキャメロンのエンジンが全くかからない(セルの動きがまるでない)ことを確認した。
 キャメロンのバッテリはトランク内にある。トランクを開けて、テスターでバッテリの電圧を測ったところ12ボルトしかなかった。正常なら少なくとも12.5ボルト以上あるはず。
 アクアの補機バッテリ(車を走らせるパワーを出すのではなく、ライトの点灯などが目的)は、後部座席の下にあることが分かったので、そこを開こうとしたが、この作業にはけっこう手間取った。
 互いのバッテリの距離が最短になるように、慎重にキャメロンとアクアを並べた。そして、基本通り、マイナス端子から接続。
 ここからはワイフにも協力してもらって、キャメロンの始動に取りかかったが、ワイフにアクアのアクセルを吹かしてもらっても、補機バッテリのパワーがアップするわけでもないのか、キャメロンの始動は心もとなかった。それでもやっとエンジンがかかったときは安心した。
 ブースターケーブルを外して、今度はワイフにキャメロンに乗車してもらった。
 バッテリの電圧を測ると15ボルトあった。弱ったバッテリにオルタネータがしっかり発電しているようだ。ワイフにキャメロンのアクセルを吹かしてもらっても電圧は変わらない。オルタネータはフル能力を発揮している。
 もしオルタネータが発電していないようであれば、オルタネータの不具合が主要因ということになるが、それはないことが分かった。
 初年度登録から19年目(走行距離17万キロ以上)のキャメロンなので、オルタネータの不具合はあり得る。たとえばブラシホルダ内のカーボン端子の摩耗だ。ここの点検や、最悪、リビルト品のオルタネータとの交換まで頭の中にあった。
 とにかくバッテリそのものが主原因らしいと判断できたので、カリチューの社長に電話で状況を説明したところ、意見が一致した。
 問題は修理方法だった。キャメロンのバッテリは、ホームセンターですぐ入手できるシロモノではない。小型で特殊なのだ。
 長野県へは全国和算研究大会に参加するために出かける。公共の交通機関よりマイカーの方が断然便利だ。時間は1週間しかない。
 カリチューもほぼお盆休みで、社長は今夜から1週間、家族旅行だという。
 この作戦の基本シナリオも自分で考えた。安価な同等バッテリは断念して、完全互換のバッテリをネットで注文する。遅くとも来週の木曜日までに届くらしい。金曜日を1日空けておき、自分で交換に挑戦するのだ。万が一、想定外のことが起きたら、カリチューで留守番をしているI氏に連絡する。バッテリさえ手に入っていれば、何とかなるはずだ。
 社長と合意して電話を切り、私はすぐにネットからバッテリを発注した。
 約1時間かけて名古屋市内のワイフの病院へ行き、診察が終わってすぐ長女のマンションへ移動した。
 今度は長女を乗せて、長女の病院へ移動した。そこは初めてなので、私たち夫婦には現地確認の目的もあった。
 長女のMRIは比較て早く終わり、それから名駅近くへ移動して、3人でランチした。
 長女を再びマンションへ送り届けて帰宅したのは午後6時だった。
 夕食後、新たな問題が発覚した。
 ほとんど使っていない私のiPhoneのバッテリがかなり消耗している。
 ネットで確認すると、何と無料交換対象機種になっていた(シリアル番号も該当)。

8月15日(土)「お盆の公式行事が終了・・・の風さん」
 超多忙だが、非常に気になるので、iPhoneのバッテリの問題の決着をつけることにした。
 午前中にネットからアップルストアの予約をしようと試みているうちに、別のショップにたどり着いた。念のため電話してみると、予約制ではなく、持ち込めば交換してくれるそうだ。月曜日に名古屋へ行くので、そのとき寄ってみることにした。
 昼食後、ワイフのアクアを借りて、筋トレに出かけた。中3日なので体力が戻っている(アップしている)かと思ったら、ほとんど変化なくガッカリした。
 それでも、しっかり筋肉に負荷をかけてメニューをこなした。
 その後、薬局とショッピングセンターに寄った。ショッピングセンターでは、最後の仏花を2個購入することができた。
 5時過ぎにワイフとお墓へ行った。墓地周辺では涼しい風が吹いていた。
 今年は9日が盆施餓鬼、12日が棚経、13日に行って迎え火を焚き(実際は焚いていない)、今日15日に送り火を焚く(同じく焚いてはいないが)というフルメニューをこなしたことになる。
 今日のメイン行事をすべて終えたので、あとは作家業ということになるのだが、残念ながらパワー切れになってしまった。
 やはり筋トレが重要だ。
 夜、ワイフが気になることを言っていた。今年は正午のサイレンが聞こえなかったね、と。確かに。
 70年経過して終戦も風化しつつあるということか。

8月16日(日)「小説のテーマを決めた・・・の風さん」
 筋トレの疲労のため、終日元気が出なかった。昨日はちょっとやり過ぎたらしい。
 昼食を摂るのもやめて書斎で横になったら、そのまま夕方になってしまった。
 今年は書斎の殺虫処理(ゴキやダニ退治)をやっていない。明日出かけている間にやるつもりだったが、その前に危険な行為をしてしまったことになる。分かってはいたが、どうにも体が言うことをきかなかった。
 夕食後、ようやく短編小説のストーリ作りを再開した。いくら何でももうタイムリミットだ。
 もちろん奇抜な展開は考えていない。それでも、人間を描く小説なので、登場人物がどのような悩みを持っていて、それをどういうきっかけで解決していくのか、基本的なというか骨格を決めなければ小説は書けないのである。
 今回はシリアスなテーマしか思い浮かばなかった。タイムリミットなので、それで挑戦することにする。
 就寝するころ、ようやく元気が出てきた。やはり筋トレの間隔は2日いや3日は必要らしい。

8月17日(月)「iPhoneのバッテリ問題が解決・・・の風さん」
 朝からバタバタと雑用を片付け(書斎には殺虫剤を仕掛け)、ワイフが留守なので歩いて駅まで行き、名古屋へ向かった。
 車中で読む本は持参していたが、短編小説のストーリーをずっと考えていた。やはり奇抜な展開でなく、ごく自然に進行する形が良いように思った。
 東急ハンズの8階のクイックガレージへ直行した。iPhoneの電池交換のためだ。早めに来たつもりだったが、順番待ちでは4時になるという。その時間帯は打ち合わせ中なので、5時半に入れてもらった。打ち合わせの後は懇親会になるので、うまく抜けられるだろうか。
 ヴィドフランスでチリドッグのランチをし、JMAのオフィスへ向かった。
 3時から今年度の生産技術マネジメント研究会の打ち合わせだった。
 予定通り5時に終了し、幸運にも名駅近くの居酒屋で懇親会になった。生ビールで乾杯してすぐ失礼し、クイックガレージへ向かった。ほとんど待つことなく順番がやってきた。
 驚くことに、内部で電池が膨張していて本体が変形していた。カバーに入れてあったので気が付かなかった。電池の補償を使って本体丸ごと交換になるという。もちろん無償。予想もしていなかった。
 30分しっかりかかって、すべての手続きを終え、新品が自分のものになった。トラブルに巻き込まれたわけだが、何となく得した気分になるのは不思議だった。しかし実際は、ネット検索したからこの問題が分かったのであり、たとえば昨年のiPhone6の発売で買い替えていたら、何も知らずに済んでいた。いや、それよりも、まだ膨張する前に、自分から電池交換を申し入れていたら、もしかすると電池代まで支払っていたかもしれない。
 戻って懇親会に1時間ほど参加してから帰宅した。iCloudのバックアップを戻すのにけっこう時間がかかった。
 ネット注文したキャメロンのバッテリは、今日発送したというメールが届いていた。明日にも届きそうだ。こちらのバッテリ問題の解決ははるかに手間がかかるだろう。

8月18日(火)「キャメロンのバッテリが届く・・・の風さん」
 昼過ぎにキャメロンのバッテリが届いた。仕様では重量が10.5キロと出ていたが、本当に重かった。取説を読むと、交換手順がていねいに書いてあり、ボケ老人の脳みそにもしっかりインストールできた(笑)。
 昼食後、ワイフのアクアで銀行へ出かけた。通帳を一つ解約する手続きの最終段階だ。銀行員の作業はかなりあって、申し訳ない気がしたほどだ。しかし、無事に完了した。
 退社して1年間は収支データの記録に力を入れて、今年初めにそれを分析し、堅実な老後の生活のために必要なことがたくさん生じた。要するに、会社で言えば放漫経営をやめるということ。時間はかかっているが、少しずつできてきた。これからは、いよいよ作家活動を本格化させることを考えなければならない。年金だけでは生活が破たんする。
 ということで、帰宅後は、短編小説の構想の続きに取り組んだ。
 夕方、階下の気温が、エアコンを使っていなくても30℃を切っていた。秋は着実に忍び寄っている。

8月19日(水)「キャメロンのバッテリを交換・・・の風さん」
 目覚ましが6時半に鳴った……、とその前に止めた。
 カーテンを引いてみると、外が薄暗い。小雨がぱらついている。
 雨は止んでいなかったが、8時半にキャメロンのバッテリ交換作業を開始した。
 念のためエンジンがかからないことを確認。バッテリの電圧はさらに低下して12ボルトを切っていた。
 うまく行くことを願いつつ、iPhoneで写真を撮りながら作業することにした。
 バッテリを取り外すためには、接続してあるケーブルのナットをゆるめる必要がある。トランクルームの端っこにバッテリがあるキャメロンには、この作業が最大の難関だった。通常の工具ではナットを回せない。専門家が使う六角レンチがあればよいのだが、さすがに持っていない。小型のモンキースパナがあるが、これも使いにくそうだった。結局、大活躍したのは、自分で組み立てる家具に付いてきたT型六角レンチだった。
 懐中電灯で照らさないと奥は真っ暗で見えない。奥のマイナス端子を慎重にゆるめた。ケーブルがぶらぶらになったが、マイナスだからと言って安心はできない。最後に締め付けるのがこのマイナスのケーブルになる。最後に締め付ける前にどこかと触れたら大変なことになる。ウエスを使ってこのマイナスケーブルを包んでおいた。
 取り付け金具のナットをゆるめるのもT型六角レンチでおこなった。
 排気用のチューブを外し、重いバッテリをトランクルームの中央に置いて、交換用バッテリと並べてみると、外観までそっくりだった。完全互換タイプである。新品は12.5ボルト以上の電圧があった。
 新品を奥へ装填し、取り付け金具で締め付け、排気チューブもつなぎ、今度はプラス側から接続していった。
 最後がマイナス側のケーブルだ。
 ここまでで電気的には完了しているはずなので、エンジンがかかるかチェックしてみたら、一発でかかった。
 正味1時間の作業で、完璧にバッテリの交換が完了した。
 小雨はカーポートの屋根でよけたが、汗はかなりかいた。冷や汗ではない。
 片付けもしっかりやった。
 達成感で非常に良い気分だったが、体力不足はいなめない。バッテリ交換作業をフェースブックに写真付きでアップした後、午後は3時間近く昼寝してしまった。
 夕方から短編小説のストーリーを考えたが、満足できる基本構成ができた。バッテリの交換ができたので、その勢いでできたと思われる。
 明日は、上部消化管の内視鏡検査なので、早起きしなければならない。
 長女も、病院へ行く日だ。私より長女の方が気になる。

8月20日(木)「鎮静剤に感謝・・・の風さん」
 朝から超緊張。大嫌いなジェットコースターに乗る気分。
 さらに外は激しい雨。気分も落ち込む(テンション下がるってやつ)。しかし、長女のことを考えたら、ここは気持ちを強く持たねばならない。要するに、私は露払いに過ぎないのだ。
 まだ学校が夏休みなので、電車は比較空いていた。病院の最寄りの駅まで、電車賃は1150円である。ずいぶんと高い。キャメロンはバッテリが復活したが、鎮静剤を使用するので、運転ができないのだ。
 病院のマイクロバスに乗って病院へ。ここまですべて座れたのはラッキーだった。
 専門病院なので、内視鏡検査といえど、効率的な流れ作業になっている。患者が物になった気がしないのは、ほとんどのスタッフが女性だからだろうか。
 ついに私の順番が呼ばれ、スタッフにひと言「初めてじゃないけど、緊張しますね」。すぐに返事があったが、何を言われたのか分からない。それだけ緊張していたのだろう。ベッドに横になってからも、スタッフに冗談を飛ばした。「え? 血圧が高い? 情けねえな。ジェットコースターと同じで嫌いなんですよ、こういうの」誰も笑ってくれない。
 鎮静剤を打たれ、目が覚めたら、リハビリ室に寝ていた。終わったのだ(ばんざ〜い)。
 どれだけ寝ていたのか分からないので、ナースコールでアナウンスのある番号を確認していると、私の前後が呼ばれ、私のだいぶ後だと、まだ17分しか経過していないから、もう少し休んでいたらどうですか、などと言われている声が聞こえた。このまま目をつぶったら爆睡してしまいそうなので、ずっと目は開けていた。すると、まもなく看護師が様子を見にやってきて「どうですか? 起きられますか?」と聞かれた。どうやら30分ぐらいしたら経過を見て起こすらしい。私は「大丈夫そう」とか言いながら、起き上がった。
 受付で「組織を取ることはなかったので、もう何をしても大丈夫です」と言われた。少し不安だった食道も含めて何も異常はなかったようだ。
 来た時と逆の手順で家路についた。雨は既に上がっていた。
 長女の診察は私よりずっと早く終わっていて、今後のスケジュールがすべて確定したとのことだった。来月、私は下部消化管の内視鏡検査を受けるが、そこまで私は長女の露払いのつもりだ。
 帰宅してたっぷり昼寝して、作家業に戻ったのは夕食後だったが、恐ろしいことが起きた。昨夜、執筆マシンをシャットダウンする前に保存を忘れたらしく、せっかく書き上げた短編小説のストーリーがすべて消えていた。

8月21日(金)「筋トレと短編下書きの日・・・の風さん」
 昨夜のデータ喪失で、いよいよピンチになってしまった。
 今日はワイフを最寄りの駅まで送るため、早起きしたが、自分の仕事の挽回も目的だった。
 短編小説のストーリーは、4つの章から成っている。昼食までに2章まで下書きを書き終えた。わき目も振らずというやつで、ラフストーリーをもう少し小説らしくしただけである。
 それでも何となく気分が良くなったので、さっとラーメンをかっこんで、私のもう一つの大きな課題である、体力増強つまり筋トレに出かけた。ATMに寄ってから体育館である。
 相変わらず体力はないが、気長にトレーニングを続けるしかない。
 続いて、JAに寄ってお金をおろし、GSへ向かった。
 バッテリを交換したキャメロンの調子は良い。明日から全国和算研究大会で長野県に出かけるので、満タンにしておく必要があった。
 原油価格が値下がりを続けているので、今日はリッター118円で入れることができた。
 原油価格を決めるのは、太古以来の原則である「需要と供給」の関係で、現在は供給過多なのである。これでロシアのウクライナ問題の制裁が解除されると、ロシアの原油も市場に出回ってさらに供給過剰になり原油安になるだろう。
 帰宅してから、下書きの続きをやって、とうとう4章すべての下書きを終えた。
 11月のSDM、12月のSICEの講演のタイトルと概要を同時に求められたが、とりあえずSICEの方だけ送った。
 やることがたくさんあるので、明後日は寄り道せずにまっすぐ帰って来ようと思う。

8月22日(土)「楽しい全国和算研究大会・・・の風さん」
 今年の第11回全国和算研究大会は長野県の千曲市で開催される。私は通算8回目なので、もしかして常連レベルかも?
 目的地まで約4時間と考え、8時過ぎには出発しようと思っていた。
 休日ということで高速道は自家用車で混んでいる。信州方面へ出かけるときの最初のピットイン恵那峡SAで休憩したが、入り口が行列だった。コンビニ―でアイスのブラックコーヒーを買って飲んだ。車内は暑いが外は曇りということもあり、暑さをそれほど感じない。
 その後も平均速度百キロ超で快調に突っ走った。バッテリを交換できて本当によかった。
 梓川SAで簡単な昼食を摂り、更埴インターで降りた。会場となっている温泉旅館に12時半に到着する。駐車してすぐ知り合いのクルマが隣に止まった。岩手県和算研究会のSさんご夫婦だった。甲府大会のときもお互いにクルマで到着したので、縁があるのだろう。
 参加受付などを済ませてから午後の発表会が始まったが、知っている方が多く、やはり私は古顔になってしまったらしい。
 今年の発表は、私が関心を持っていることが多く、非常に勉強になった。
 ツインルームの相方とは初対面だったが、なんと大学の大先輩で、土倉先生の教え子とのことだった。共通の話題が多く、また親しい先生ができた。
 懇親会も楽しむことができた。年に一度でも何度もお会いしているうちに、長年の知人友人といった感じになってしまうからだろう。
 今年は50人強の参加で、なかなか活気のある研究会になりそうだ。明日も楽しみである。
 寝る前に温泉に入りに行った。それほど熱くない露天風呂で体を伸ばしてから上がったが、それでも酔いが回ってきて足元があぶなかった。

8月23日(日)「帰りに象山記念館も見学・・・の風さん」
 昨夜は早く就寝したので、6時半に起きた。相部屋の先生は既に温泉に入りに行き、帰り支度も始めておられた。
 しっかり朝食を摂って、午前中の算額見学に参加した。2台のバスに分乗してのツアーだ。
 長谷寺の観音堂の算額が最初だった。奈良の長谷寺より100年も古いお寺というので驚いた。立派なお寺で、本堂内に本物とレプリカを、見やすいように並べて展示してあった。本物はもう文字を読むことができない。次の武水別(たけみずわけ)神社も平安時代からあったという。御供殿(ごくでん)に文献から復元(文字はレーザー加工)した面積で日本一という大きな算額が外壁にかかっていた。長女のために病気平癒のお守りを購入し拝礼もした。3ヶ所目は、坂木宿ふるさと歴史館の中の和算の間にある算額だった。江戸時代数学が盛んだったことから、こういった資料館に和算専門の展示コーナーがあるのだ。最後は、松代町の高源寺観音堂。真田家ゆかりのお寺で、復元算額は堂の中に通常は封印されているが、今日は特別に開帳されていた。密度の濃い算学見学で、今回の研究大会が無事に終了した。
 いったん宿に戻った後、私は、キャメロンで再び松代町へ向かった。
 松代といえば松代藩。松代藩といえば佐久間象山である。教えてもらった象山(ぞうざん)記念館を見学するためだった。
 小さな記念館だったが、象山が製作した電信機の推定レプリカや、江戸の天文台の時計師大野規行が製作した経緯儀が展示してあって、大収穫だった。図録も購入した。
 帰りは高速道も混んでいたので、往路のようにブッ飛ばすこともなく、マイペースで走った。
 1週間前にバッテリが上がって、大ピンチだったが、新品と交換して無事に往復することができ、これも良かった。
 来年はまた愛媛県の松山市で開催される予定だが、参加したいと思っている。

8月24日(月)「CTの結果・・・の風さん」
 昨夜は帰宅した後、5ヶ月ぶりに帰省してきた長男から時間をかけて近況を聞いたので、その後は疲れて寝てしまった。
 今日は普通に起床したが、午前中にたまっていたメール関係を処理し、昼過ぎにキャメロンで出かけた。
 総合病院で受けた精密検査の結果を聞く日なのである。
 強い日差しの下、エアコンを強烈に効かせながら走った。
 予約時刻ちょうどに医師に呼ばれた。
 血液検査では、若干低下したが前回高かった腫瘍マーカーが、今回も基準以上を示した。
 しかし、CTの結果は、肺だけでなく首から下の上半身すべてを見て、特に異常はなかったという。
 胃腸専門病院の結果を見て、今年の精密検査は終わりにしたいと告げて、了解された。これからは毎年こういうことがあるかもしれないという年齢に突入しているわけだ。
 片道1時間ということもあるが、帰りも日射がきつく、それだけで消耗してしまった。
 帰宅して夕食まで横になった。
 夕食後もたまっていたメール関係をたくさん処理し、執筆はできなかった。

8月25日(火)「台風15号で風雨強し・・・の風さん」
 台風15号のせいで、朝から風雨が強い。昨日とまるで違う天気。
 昼食後、短編の執筆を再開した。
 しかし、例によって、凝り性の悪い癖が出て、3時間も小説の舞台となる江戸時代の地理の調査をしてしまい、実際の執筆は夕食後になってしまった。
 夜になってもまだ風雨はおさまらず、気持ちは焦るばかりだった。
 今日は長男は上京し、次女も近場に旅行に行っているので、夫婦だけの1日だった。
 子どもがいないとすべてが簡素化されて気が楽であるが、これが毎日になると、仕事をしない限り、つまらない余生ということになるだろう。

8月26日(水)「台風一過の一日・・・の風さん」
 台風一過の爽やかな青空が広がっている。トンボが飛んでいて、秋の気配も感じる。
 何年も続いている異常気象も気になるが、最近は凶悪事件が多くなっている気もする。
 もういつ日本でテロが起きてもおかしくない国際情勢なのに、その前に危険な国になってしまったら情けない。
 定年退職後の第三の人生に突入していながら、あれこれと心配が増えるのは損な性格だ。
 そのような、いつも繰り返されている朝のルーチンの中で、新聞の一面を見ると、全国の小学、中学の学力試験の県別の成績が目に飛び込んできた。例によって秋田県の優秀さが目立っていてうれしい。さらによく見ると、秋田県と北陸三県(福井、石川、富山)で全科目の上位が独占されている。少子高齢化、地方の人口減少が心配されているが、子どもは国の宝である。学力試験で明らかに好成績を残しているこういった県の教育のしくみをよく研究して、それを国の政策へ反映すべきではないだろうか。
 天気が回復したので、午後、筋トレに行ってきた。8月になって通算7回目だ。なかなか体力は戻らないが、トレーニングをして戻ってくると何となく体調が良いのが分かるので、頑張って続けよう。
 夕食前に空腹を感じたので、賞味期限切れのでん六豆を一袋食べてしまった(笑)。

8月27日(木)「焦ると生産性向上?・・・の風さん」
 朝のうちは雲が多かったが、今日も晴れそうだ。しかし、どこへも行かないので、執筆に専念しなければならない。
 と決意をしたものの、午前中は雑務を中心に片付けた。
 昼食のラーメンをさっと食べた後、ワイフのパソコン操作のアドバイスをして書斎へ。
 そこからまた著しくパワーダウンして、ちょっとひと休みするつもりが、眠り込んでしまった。
 目が覚めたらもう夕方。コーヒータイムをとっている場合ではなくなった。
 夢中で執筆をしていたら、ワイフがやって来た。今夜は組長業務で集会所へ広報などの配布物・回覧物を取りに行かねばならなかった。いつもは徒歩で行ってくるのだが、止むを得ず、ワイフのアクアで往復。集会所に着いたら、私が最後ではなかった。
 夕食後も執筆の続き。焦っていると、生産性も高まるが、精神衛生上はよくない。
 明日から泊まりでセミナーの仕事もあるので、その準備もしなければならなかった。空いた時間に作家業をするための準備も必要だ。USBメモリーを空にして、必要なデータを入れる作業を開始したら、スピードが遅くて往生した。結局、これが完了するまでが今夜の作業時間となり、就寝は午前3時半ころだった。

8月28日(金)「今年度の生マネ研がスタート・・・の風さん」
 7時起床。眠い。就寝が遅かったせいもあるが、昔から早起きは苦手。老人は早起きと相場が決まっているが、私は未だに朝型にならない。若いせいではない。残念ながら。
 カーテンを少し開けて外を見ると、なんと雨だ。外出する日の雨はうっとうしい。
 朝食を食べ終わる頃には、雨が強くなっていた。そこで、今日の予定変更。キャメロンでワイフを最寄りの駅まで送り、私はそのままいつもの途中駅(キャメロンを駐車させる)まで爆走し、ワイフの次(1本遅い)の電車に乗った。
 昨日に続いて今日も人身事故が起きたらしく、ダイヤに乱れが生じていた。車内で盛んに遅れを謝るアナウンスが繰り返されているが、名鉄のせいだろうか。
 今日からJMAの生産技術マネジメント研究会が始まる。一種の異業種交流セミナーだが、参加者だけでなくアドバイザーの私も得ることが多い。
 昼食後、待機時間があったので、休憩所で自分の仕事をした。明後日の講演の準備がいくらかできた。
 研究会は明日も続くので、懇親会の後、会場となっているホテルにチェックインした。自宅と往復できるロケーションではあるが、時間を有効に使うためだ。
 寝不足とほろ酔いで、とりあえずベッドにダウン。

8月29日(土)「帰宅してすぐ明日の準備・・・の風さん」
 昨夜は熟睡はできなかったが、結局寝てしまった。窓の外の雨の音が騒々しかったが、睡魔には勝てなかった。。
 いくらか早起きできたので、荷物の整理をしておいて、朝食後、生マネ研が始まる前のわずかな時間に、執筆をした。しかし、創造的というよりは単なる作業に近かった。
 不規則な生活が続いているため、チームミーティングを横で聞いていても、イマイチ頭が冴えない。コーヒーを飲んでもだめだ。
 昼食後、小沢先生が合流してくれたので楽になった。しかし、依然として頭は冴えない。議論の途中で口を差し挟むのだが、適切なタイミングでできていない。
 5時になり、時間切れでチームミーティングは終了した。外の雨もほとんど上がっていた。
 電車とキャメロンで帰宅したのは7時過ぎだった。直後に帰宅した次女と夕食を摂り、書斎で明日の講演の準備を開始した。
 昨日の午後、セミナー会場の休憩所でいくらか作業をしてあったが、真剣に始めると、やることが多かった。
 トール教室の生徒さんといっちょまえの女子会にやって帰宅してきたワイフは、酔っ払ってリビングでダウンした。
 私は明日の講演の準備の仕上げをしてからさっさと寝た。

8月30日(日)「ありがたい講演会・・・の風さん」
 朝から不安定な空模様。今日は午後講演の仕事がある。
 出発前に執筆の仕事をした。文庫の再出版計画があり、収録作品の差し替えが企画された。私としては、書き下ろし作品と差し替えすることを提案している。その締め切りは月末だが、他の作品の改訂も企画されていて、その改訂の仕事である。
 色々と考えたが、とにかくたたき台を作らねば話は先へ進まない。改訂版を午前中に完成させた。
 聴講者の方たちへ見ていただこうと、たくさんの資料をキャメロンに積み込んで出発した(持って行こうと思った本を1冊忘れたが)。会場は名古屋である。遅れたらみっともないので、十分余裕のある時刻に家を出、さらに有料道路を使った。
 順調過ぎて、かなり早く目的地近くまで行った。
 昼食は諦めていたのだが、時間つぶしもかねて、コンビニに寄ってパンとコーヒーの昼食を摂った。
 2年前にも経験させていただいている講演の2回目となる。3月の東京での講演と同様に、技術士会主催によるものだ。
 技術士の方たちを対象にした講演は、予想以上に好評である。恐らく私の技術者としての姿勢が共感を呼ぶのだろう。そして、どのように難しいテーマでも、大学の先生を対象に講演するときと同様に、聴講者の方たちが熱心に考えてくださる。受け身ではなく参加型となるので、決して退屈したりすることがないようだ。
 そういったありがたい事情があるので、東京と同様に、ここ名古屋でもサービス精神を旺盛にして、講演をさせてもらった。
 結果はやはり、自分で言うのも何だが、好評だったと思う。
 そういった反応は、懇親会の時にいつも確かめている。今日も最後まで懇親会に参加した。
 帰りは一般道を通り、途中でキャメロンに給油もした。ガソリン価格の低下は続いていて、今日はリッター118円で給油できた。
 帰宅し、やはり疲れたので、必要最小限の仕事をして早目に就寝した。
 明日はいよいよ短編書き下ろしの締め切りだ。

8月31日(月)「短編書き下ろしが完成・・・の風さん」
 先日、無料回収のチラシが折り込み広告として新聞に入っていた。売れる不用品の回収で、よくあることだが、自宅前に出しておけば持って行ってくれる、というのが気に入った。
 今朝の9時までに出す必要があったので、試しに、先週交換したキャメロンのバッテリと壊れたトースターを出しておいた。回収業者が見ればよだれが出るものだ。
 朝食は、だいぶ前に長女の東京で買ってきたお土産のスイーツである。ワイフがフリーザーで保存してあったが、電子レンジで解凍と加熱をした。レギュラーコーヒーと一緒に食べたので、朝から贅沢な気分になった。
 他の一切の雑務を停止して、短編の執筆の続きを開始した。
 昼食後も執筆を続けた。
 プロになってからでも既に20年以上が経過している。執筆の職人になっているわけだ。
 ホットタイムの後も執筆も続けた。夕食の後も、だ。
 こうして63枚の短編小説の第一稿が完成した。午前3時だった。
 月末までに送付すると宣言していて、時間的には遅れたが、他の原稿と一緒にメール添付して送った。
 それからシャワーを浴びて就寝したのだが、かなり肉体に無理がかかっていたようだ。
 午前4時、就寝。

2015年9月はここ

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